ぶっちゃけ『メトロイド ドレッド』より『スーパーメトロイド』のほうが恐怖体験できちゃう
— がむしゃら (@GMshara_) October 30, 2021
なぜそう感じるのかを簡単にメモっておく。
※念のため言っておくがどちらが優れているとかではない。
だいたい思い付くのが主に6つ
- 未知
- 地形の開放感
- ゲームオーバーへの恐怖
- サウンド
- フィードバックの曖昧さ
- 演出の丁寧さ
未知
ドレッドにおける主な恐怖体験はE.M.M.Iだ。
「見つかりそう…」「見つかった!逃げろ!」
といった怖さはもちろんある。一方で、これらはゲームルールが非常に明白になっている。また、E.M.M.Iは全部で7体と明言される(もちろん、これはこれでやりようはあるが)。とにかく分からないことは無いし、説明がいっぱいある。
恐怖において、未知は重要だ。暗闇が怖いのは、周囲の状況が分からないから。見たことの無い生き物が怖いのは、その生き物のことをよく知らないから。よく知らないモノは怖い。
僕としては、E.M.M.Iよりも、たまに背景の壁になにかがぶつかる音がしていたりしているところのほうが怖かった。背景であとでボスとして出てくる巨大生物の生体実験してるところとか。アレも「なんの実験だよこれ…」みたいな意味不明な感じがよい。
スーパーでは、とくにマリーディアで顕著だが、未知の生物がめちゃくちゃいる。こいつらの存在について、ゲーム中でいっっっっさいの説明がない。ビビる。怖い。なにこいつら。なんなの?説明してくれ。説明はない。動きの挙動もよく分からなかったりする。なにこの動き?こわ。
探索を進めると風景が一変するシーンも出てくるのだが、これらについての説明ももちろん無い。ドレッドでは、例えばアルタリア-カタリス間の溶岩エリアは、惑星内部のマグマを利用した施設だとか説明が入る。なるほどね。分かると安心だ。
どこ行けばいいか分からん、もゲーム進行に対する不安があると思う。クリアできるのこれ……?っていう。
これは陳腐な言いかたかもしれないが、現代と比べると粗めのグラフィックが想像力を掻き立てる効果もあると思う。あと、昔のモノってそれだけで少し怖さを感じることがある。古い蔵に入ったときとか、歴史的な古物を見たときに生じるような感覚だ。これも未知だからかもしれないが。逆に、品質の高さや現代的なモノが温かみをもたらすこともある。
地形の開放感
スーパー、やたら狭く感じない?怖い。不安になる。そういうところでいきなり下に落ちて上に戻れなくなったりすると怖くなる。スーパーのマップの大部分は明確に地下であることが示されている。地上のクレテリアは明確に【外に出た感】がある。
ドレッド、基本広めだし、開放的な背景のエリアが多い。スタート地点のアルタリアは惑星の最深部らしいが、そんなに深部感がない。屋外という認識が強い。不安にならない。
ゲームオーバーへの恐怖
E.M.M.Iに捕まって殺されても少し前に戻るだけ。そんなに怖くない。
スーパー、死んだらセーブポイントから。新しいエリアに来たとき、死にたくない。でも未知の敵が襲ってくる。怖い。
スーパーだとダメージを受けたときにサムスが「ウッ」とうめき声を漏らす。これが妙にリアルで怖い。ダメージを喰らったときに恐怖感が出る。
ボスもやたらうるさくわめく。クロコマイアーの断末魔などは、生物を手にかけた感覚がスゴい。
あとは音楽。これもなんか圧迫感とか異質感がスゴい。体の奥底にある原始的な恐怖感を刺激してくるような音楽ばかり。
フィードバックの曖昧さ
スーパーは入力に対するフィードバックが曖昧な部分が多い。サムスの動きはシリーズでも随一のゆったりモーション。ショットもなんかスムーズに出ない。なにこれ?
そしてアリジゴクのような敵や、ラフレシアみたいな食虫植物の敵に捕まったとき。抜け出すためにはガチャガチャ移動入力をしないといけないようなのだが、このときに【どうすれば抜けられるのか】が非常に曖昧になっている。これがヤバい。捕まっている状態と、抜けられる状態の違いがまったく分からない。
ダメージを喰らい続けてサムスが「ウッ」とうめき続ける。ゲームオーバーになったらだいぶ戻されるから死にたくない!でもどうすれば抜けられるんだガチャガチャガチャ……とこれがやたら怖い。まさにゲームで味わえる恐怖体験だと思う。
ドレイゴンやリドリーなど、拘束攻撃系が多めかも。
マリーディアに出てくる流砂も同様だ。砂に足を取られて身動きが取れなくなる。でもどうすれば抜けられるのかがまったく見えてこない。ガチャガチャ動かせば抜けられることは分かる。だが、どのくらいガチャガチャ動かせば抜けられるのか分からない。そもそも抜けられる状態になったかどうかも曖昧だ。
もがくような体験がガチでできる。スーパーはそれなりに遊んだが、未だにこれらの抜け出しかたが分からない。
逆にドレッドでは動かしたいように動かせるし、移動もスピーディーなので、閉塞感などは無い。どうすればよいのか分かる明確さがある。
演出の丁寧さ
最初は無人→奥まで行くと像の瞳が怪しく光る→上に戻ると敵が出現→恐ろしげな音楽ジャーン。こういう演出の丁寧さ──力の入れ具合はスーパーのほうが強いと感じる。
能力を取ったと思ったら部屋に閉じ込められる→恐ろしげな音楽と共に鳥人像が崩れて怪物が目を覚ますとか。酸の池に落ちて溶けたと思ったボスが骨だけになって飛びかかってくるとか。
セーブしてひと安心と思いきや電力が供給されて無くてセーブできないとか。部屋入ったらいきなりボス、とか。
まとめ
まとめると、スーパーは…
- 未知の存在が多い
- 舞台がほぼ地下で狭い(絵も全体的に暗め)
- ボイスが妙にリアル
- 力の入った恐怖演出
などの人間の生理的な恐怖を呼び起こす要素をベースにしつつ、
- 死んだらセーブポイントに戻される恐怖
- フィードバックが曖昧(→未知につながる)
- 「どこ行けばいいんだ…」「詰んだ?」などのゲーム進行への不安
などゲーム的恐怖がすべて完璧に融合している。
ドレッドももちろん、「こえええいまの!」っていうシーンは何度も経験した。ただ、体験の中心はE.M.M.Iのみで、あとは背景にちょっとそういう要素があるぐらい。また、E.M.M.Iの場合はどちらかといえば、ポジティブな恐怖といった印象だった。
スーパーの場合はじんわり怖くなってくるネガティブな恐怖要素がゲーム全体に蔓延しているような印象。「えーなにいまのなに?こわ……」「うぅ…死にたくない……」みたいな体験は圧倒的にスーパーのほうが強い。
あらためて考えるとやはり方向性の違いでしかないかなーという気がしてきた。ドレッドの恐怖はジェットコースターとかお化け屋敷に行ったときのような恐怖で、共有したくなる魅力がある。一方で、スーパーの恐怖は知らないところに一人で行って知らないモノに出会う恐怖で、こちらは一生の思い出になるかもしれない。
個人的には後者の体験のほうが僕は好みだと思って、ドレッドよりスーパーのほうが怖いと評した。あとは体験の総量?ドレッドはE.M.M.I中心に対し、スーパーはゲーム全体だから。
こう考えると、少々乱暴なツイートをしてしまったかも。
おわり