がむしゃらメモ

がむしゃらのメモ的な扱いのブログです

ゲームの攻略情報閲覧およびその周辺のアレコレについての雑考

 雑に考える、雑考。いま作った造語です。

考察とか言うとなんかスゴそうに聞こえてしまう。そんな読まれる際のハードルが上がってしまうのをなんとか防ごうとする小細工とも言います。

 

例によって、オチとか意図とかあんまり無く、

「いまこういうことを思いました」だけの文章。

 

 先日、僕がツイッターでフォローしているニカイドウレンジ氏がこういうことをつぶやいていた。

 

なるほど面白いね。ニカイドウさん本人が意識してやってるかは知らないけど、彼はこの手のハナシ*1を既に何度かしている。それでいて切り口を変えつつ同じ話題を提示して定期的に他者から情報を収集する手腕がいつもながら見事だなあと。今回は特に、【ゲームの攻略を見る】というイイ感じに他者を刺激して反応を引き出せそうにしているところが巧妙だ。リスクとしてゲーム攻略の是非の話かと勘違いして勝手にキレたりする人も現れるけど。ハイさっそく話逸れた。

これはいろいろな方面に刺激されるので、とりあえずここにザッとまとめておこうかなと思った次第です。

 

オールドタイプとニュータイプ

 先にニカイドウさんのツイートに対する自分の反応をまとめるか。といっても僕に明確な論があるわけじゃないんだけど。

 

  • オールドタイプ:自力攻略に快感を覚える
  • ニュータイプ:ネット検索攻略に快感を覚える

 

これが雑まとめ。これに対しては

「半分その通りだと思うし、半分そうじゃないかもと思う」っていう反応になる。

 

半分その通りだと思う点

 まず、半分その通りだと思う点について。

結論から言うと、ニュータイプはオールドタイプの学習パターンを踏襲しなかっただろうから。

オールドタイプは自力攻略の果てに得られる快感を学習して、「攻略情報を見ながら初見プレイなど邪道!」になる。

ニュータイプは自力攻略の快感を学習せず、ネット攻略の快感を学習したので、「自力攻略は非効率」になった。

あるいは、どちらも「自分の力で成し遂げた!」という快感があり、ニュータイプはネット攻略しても自分の力だと感じられるのかもしれない

この違いを分けた要因はもちろんデジタルネイティブかどうかだと思う。

初めからネット攻略が横にあるので、心理的抵抗を置き去りにそういう選択肢が最初からあって、ネット攻略の快感を学習する。一度覚えたら後はパターン化して、ニュータイプになる。もちろんこれは仮説にすぎないけど。

 

 高度情報社会に至った今となっては、効率良く最短で検索していくことに快感を覚えたほうがいいのではないか?という考えについて。ヒトという種全体を論じるなら、これは数億年後とかに分かることかなーと思うが…

とはいえ、ヒトが生まれながらに持つ本能的な習性と、人間が作った社会的な構造は食い合わせが悪いことがあるのは間違いない。まあ、これは動物行動学者とか人類学者とか社会学者とか歴史学者に任せるハナシになる。『サピエンス全史』でそういうハナシしてたね。

 

 学習とは別に、情報を取得するスタイルが本能的に違うパターンも考えてみる。

(ものスゴく単純にモデル化したとして)ヒトに自力派と最短派の人間がいるとして、インターネットがある今の時代では最短派が有利では?という考えに関しては、そうかもしれないと思う。

 

ただ…

半分そうじゃないかもと思う点

 ニカイドウ氏がよく主張している(ように思う)オールドタイプとニュータイプのDNAは違う的なハナシについて。これについて僕は違うんじゃないかなと思っている。ヒトのDNAや脳構造はたかだか数十年で変わらないと思うからだ。(まあ、DNAとか脳構造っていうのはあくまで比喩表現として使っているかもしれないけど。)

生物の本能的な快感はそうそう変わらない。数億年も前のサルから今のヒトに至るまで、セックスの快感は大きく変わってないだろうし、食とか睡眠とかも変わっていないハズだ。

だから、仮に違いがあるとしてもここ最近とかではなく、単に自力派と最短派みたいなのがあって、最短派がインターネットを利用しているに過ぎないと考えている。そういう意味でちょっと自分と解釈が違うなと思ったわけだ。

といっても僕は別に遺伝学者でも動物行動学の専門家でもなんでもないので、間違ってるかもしれない。だから「半分そうじゃないかも」みたいな曖昧な言い方にならざるを得ない。

 

 と、ここで思ったが、本来は逆なのかもしれない。最短で情報を得て解き明かすのが普通なのだが、本来なら毒のハズの“苦み”をあえて楽しむように、自力攻略に快感を見いだす変態としてゲームを思い付いたのがいわゆるオールドタイプなのかもしれない。“ゲームは学習を嗜好化したもの”というヤツだ。そしてニュータイプは違う楽しみ方をする。

 

脱線したので修正してまとめに入る。

 

自分の反応まとめ

 違うのは本能じゃなくて、学習された行動パターンに過ぎない

DNAや脳構造じゃなくて、学習環境・過程・結果が違う

環境がネット検索ありきで始まるので、今の子どもはネット攻略による学習の快感を覚えやすい。ゲーム攻略を、ゲーム外攻略込みで考えやすい傾向にある。

あくまで学習に過ぎないので、自力攻略の快感をあとから学習すれば、ニュータイプも「ネット攻略とか邪道!」になる可能性を秘めていると思う。大人になって味覚が変わるような感じで。

 

 仮に学習が関係無くて本能的に違いがあるとしたら……

今の時代、効率良く進めるのに快感を覚えたほうが有利なんじゃないか?というのに対してはまったく分からん!情報を最短で得るほうが生存に有利なように思えるので、おそらくヒトはそういう傾向の人間が生き残ってきていると思う。狩猟採集時代なら、○○に食い物がある。農業始まったら、効率のいい作物の育て方。みたいに時代時代に適応し、できなかったら淘汰されていっているハズ。

ただし、それでもヒトという種の本能的な習性が、人間の作った文化の発展に追いつけていない可能性はあると思う。でも専門家じゃないので分からん

 

自力派と最短派、両方生き残ってきているとして(自力派はもしかしたら減っていっているかもしれない)この場合、

最短派がインターネットを得たときに自力派を淘汰させるか?が注目ポイントだが、

それが分かるのはたぶん僕が死んだずっとあとだろうな。

 

よし自分の結論が出たな。

 

以下、攻略情報のハナシ。

そもそもなぜ攻略情報を見るのか

 そもそも論から入る。なんで攻略情報を見る必要があるんですか?

これは人によっていろいろ動機がある。が、必要性の観点で見ると一点に集約できそうだ。ゲーム内で攻略情報が得られないから、ゲーム外(インターネット)で攻略情報を得るわけだ。シンプル。

つまり、ゲーム側は以下のような要素が足りなかったんだろう。

  • 気付きへのヒント
  • 上達を促す設計
  • 試行錯誤継続のための励まし
  • 悔しさ喚起

適当に書いたけど、まあこういうのが足りないとプレイヤーを攻略情報へ走らせることになる。それ以上ゲーム側から情報を引き出せないと感じたからだ。

あと、ゲームの寿命を延ばすためにあえて情報を隠しているゲームもある。隠し要素や裏技をあえて仕込むのもこの一環で、これはどちらかといえば攻略本・攻略サイトの隆盛原因か?

 

 こっから先はいろいろあるなぁ……

ま、雑に書いてくか。

 

・自力達成の快感 < 他力達成の快感

 【自力達成の快感 > 自力攻略のストレス・疲労

の状態なら、自力攻略を継続する。

これが逆になったら、攻略を見る。この場合は

【ネット攻略の快感 > 自力攻略のストレス・疲労

になる。

 

・そもそも自力攻略を軸にしていないゲーム

 対戦ゲームとかで顕著だが、キャラ毎のコンボルートとか立ち回りは自力で確立せずにネットで得た知識を活用するとか。この場合、対戦で勝つのが一番大事な目的なので、自力探索の感覚すらなく、前提として対戦に備える動きになる。

それ以外にも、ネットの集合知を前提とした作りのゲームもある。

news.denfaminicogamer.jp

こういうハナシもある。(アルセウスを自力で全クリできるか不安になってきた)

まあこれは正確に言えば、ゲームを作る側が、

【ネット検索で突破しても満足感を味わえるようにしたい】的なハナシだけど。

 

・早くクリアすることに価値を覚えている・クリアした事実が欲しい

 価値基準の違い。速度が欲しいので、攻略を見る。

「他者よりも先にクリアした自分が偉い」とか、

「他にもコンテンツがあるからこの速度で味わい尽くしたことにしたい」とか。

 

つまるところ、

「ゲームがプレイヤーになにを求めているか?」

「プレイヤーがゲームになにを求めているか?」でも、

【攻略を見る・見ない&それに価値を見いだすかの姿勢】は変わってくるだろう。

 

 

 前半部で考えすぎて後半雑になってるな。

まあ今回考えるのはここまでということで。

 

*1:ざっくりだけど、最近の子どもは今の大人と快感構造が違う的なハナシ