がむしゃらメモ

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『ゼノブレイド3』4話のエセルについての考察

 ゼノブレイド3のネタバレあります。

ゼノブレイド3遊んだあとにメモがてら書いてたモノで、なんとなく下書きのままだったので、年末になんとなく大掃除っぽく放出する。

 

「4話中盤のエセル無責任すぎ」問題について考え直してた。

そしたら意外と惜しかったんじゃないかという気がしてきた。

4話、【エセルとカムナビの最後の決闘】は、

ゼノブレイドシリーズ屈指の名シーンになり得たのではないかと。

まぁ実際はなってないからダメなことに変わりはないんだけど。

ゼノブレイド3好きだからフォローの気持ちも込めて。

ここでひっそりと備忘録がてら書いてみる。

まぁどのみち「エセル無責任すぎるだろ!」で終わるけどね?

エセルがやったこと

 まずエセルがやったことをおさらい。

一回だけストーリーを体験した記憶を頼りに書いてる。

なので事実誤認あるかも。

時系列順にざっくり箇条書きする。一部あいまいだけど。

  • 命の火時計から解放されたことをキャッスルに報告しに行く
  • 女王「お前ら用済み。この新兵器で消すわ」
  • エヌ「消されたくなかったら言うこと聞け」
  • ボレアリスにコロニー4への帰還およびノアたちに知らせるよう指示
  • 待ち伏せした狙いどおりにウロボロスと遭遇→バトル

だいたいこんな感じ。

逆らったら「ポチッとな」で消される。

副官にこっそり指示してる。(ここメビウス側テキトーすぎるだろ?それはそう)

エヌは「ウロボロスはキャッスルに来るからここで待ち伏せしろ」と指示してる。

つまり待ち伏せ成功の時点で、ノアたちがアナイアレイターを壊しに行くことは確定。

専用鉄巨神を使って戦って、ノアたちの実力は肌で実感した。

だから自分には無理でも、ノアたちならアナイアレイターを破壊できるだろう。

 

ということで、エセル的にはやれることやってるんじゃないかなと。

一応。ここまでは。

 

で、このあとカムナビと殺し合いするのが問題だと。

足りなかったもの

 これはシンプルに、【エセルとカムナビはどうあがいてもじきに死ぬ】

この状況が設定できていればよかったんだと思う。

二人がどうあがいても死ぬ状況だったなら、

そこまで「無責任」って言われなかったんじゃないかな。

一応あとでそうなるんだけど、殺し合う前にはまだ。

タイミングを前後させて、メビウスが「もういい!役立たずは死ね!」

ってやってから殺し合いすれば無責任感は減ったんじゃないか

当たり前の指摘だと思うけど。

エセルの気持ちを想像してみよう(※ここから九割恣意的解釈)

 ここからはこのシーンが名シーンになり得た可能性についての考察。

まず、エセルには座右の銘のようなものがある。

 

「正しいと思った行動が

 必ず正しい結果につながるとは限らない」

「最善を考え 全力を尽くせ」

「どうにもならないときは諦めろ」

 

注目したいのは、最後の諦めろってところ。

エセルは最後まで諦めない人じゃなくて、

能力が高いゆえに先が見通せてしまって、

結果的に見切りが早く、どうにもならないことは諦める人なわけだ。

 

エセルは最善と考えてキャッスルへの報告に行く。

が、女王に死刑宣告を喰らって一発で詰んでしまう。

「余興」と言われるとおり、自分たちが完全にオモチャにされてしまう。

一応、ボレアリスに指示するなど、最善は尽くしている。

けど、エセルは深く深く絶望している。(そういう描写が欲しかった)

本当は自分の力ではどうしようもないと諦めている。

 

戦う相手、場所、仲間、武器、すべて執政官に決められている。

自由が一切無い状況。

だからカムナビに「ウロボロスってどういうやつら?」と

聞かれた際に、自分の状況と照らし合わせて自嘲気味に

「憧れだ」と答える。(ここ表現が詩的すぎて分かりづらいよ!)

 

ウロボロスに対する憧れは何度か描写されている。

エセルにとって2話の執政官ケイが引き起こした出来事は衝撃的だった。

自分が一切抵抗できずにいいように操られ、一方的に殺されかけた

それに抗い、命の火時計まで破壊してみせたウロボロスに憧れを抱く。

自由であり、自由を目指しているウロボロスが羨ましい。

だから「憧れだ」なんだけど表現が詩的すぎて分かりづらいよ!

 

そして実際に戦ってノアたちの力を体感し「やっぱりスゴいな君たちは」となる。

内心、それに引き換え自分は……とつづく。(※妄想です)

 

戦う相手も、場所も、武器も、すべて押しつけられた。

一緒に戦う人間も、宿敵だったハズのカムナビ。

自由なんかなにひとつ無い状況。

そんな状況で、自分が手も足も出ずに一方的に操られた執政官の“瞳”の操作を、コロニーランクを土塊に落として自分を慕ってくれる部下に迷惑かけてまで再戦を望んだ宿敵の、あのカムナビが、ぶち破った。ぶち破って、こう言い放つ。

「オレは自由だ!」

これを聞いてエセルはもう、嬉しくなっちゃう。

「そうだ、私たちは自由だ!」

本当は自由なんかじゃない。

状況は一切変わってない。むしろ悪化してるとすら言える。

でも、自由だと言い放つ。

だから、ずっとやりたかったカムナビとの再戦をした。

これが二人の憧れだった。

 

これはのちに語られるテーマ、

【自分が変われば世界が変わる】を体現しているのだ。

 

見方が変わる、とか。心の持ちよう、とか。

こういう言葉にすると陳腐になるけども。

そうした世界の見え方が変わるようなきっかけが、

自分を慕ってくれる部下達に迷惑かけてまで再戦を願った宿敵からもたらされる。

しかも、自分が手も足も出なかった能力を打ち破ったうえでだ

これはやっぱりアツいと思う。

細部の描写がもっとしっかりできていれば、

ゼノブレイドシリーズ屈指の名シーンになった…かもしれない。

 

とはいえ、「エセルいきなりなにやってんの?!」みたいな反応は、

周りのキャラクターもしているので、

プレイヤーもそう感じるのは想定済みなんだと思う。

「話さないと伝わらないことだってあるよ」みたいなシーンが手前にあるし、

「ええー!エセルってこういう人だったの?!」は狙い通りなのかもしれない。

一応、カムナビと決着付けたいっていうのは最初からずっと言ってたしな。

エセルってこういう人なんじゃないか(※さらに恣意的解釈が深くなります)

 エセルって内心を他人に見せない人なんじゃないか説。

顕著なのが、というかそれしかないけど、

エセルのヒーロークエストでのエピソード。

副官のボレアリスにすら行き先を告げずに、

単独で投下物資を奪取しようとする。

わりと一人でなんとかしようとしがちなんじゃないかな

 

これは立場の影響も大きいんだろう。

3期の頃からガンガン活躍してて、

付いた二つ名が白銀のエセル。

副官のボレアリスですら、エセル亡き後のコロニー4で、

軍務長“代理”をする!って言うぐらい心酔している。

あまり他人に弱みを見せられない人だったのではないか。

 

だからこそ、エヌに戦いを強制されたときに、

一人絶望を見せるシーンが欲しかったな。

ボレアリスに指示して見送ったあとに、

壁に拳を叩きつけるとかそういうの。

 

おわり

 というわけで結論「エセル無責任すぎるだろ!」。

 

でも、もう少し、もう少しだけ脚本を弄れば、

シリーズ屈指の名シーンになり得たかもしれない。

 

 

おしまい